ハルノウタ

脳内お花畑の独り言です。 道徳 留学 恋愛

もしもの話。

f:id:uw-dandelion0130:20171118191127j:image

 

もしもあなたの行く先に泣き崩れている人がいたら、あなたならどうしますか。
────────────────────

なんでもない、もしもの話。

自分の歩く道の上に痛々しく泣き崩れている人がいたら、どうしますか。

きっと多くの人は見て見ぬ振りをします。

じゃあ、
お腹に包丁が刺さった人が蹲っていたら?

きっと多くの人が、必要以上に多くの人が群がり集ります。
ある人は救急車を呼び、ある人は止血を試み、そしてある人は写真を撮る。

何故後者なら人は救いの手を差し伸べるのでしょう。
それは、目に見えているから。
視覚情報から明らかに危機的状況にあるから。

ここでひとつ疑問が浮かび上がります。

泣き崩れている人は危機的状況にないのでしょうか。

お腹に包丁が刺さった人に救いの手を差し伸べても
心に包丁が刺さった人には救いの手を差し伸べないのは何故でしょうか。

心に包丁が刺さった人だって危機的状況にあるかもしれない。
心が追いつかなくなって自ら生命を絶ってしまうかもしれない。

でも、
道行く他人にとってそんなことは知ったこっちゃないんですね。
毎日仕事や勉強や自分の事で精一杯。
他人が苦しみ心を病んでいることなんて気にかけていられないんです。
そして
視覚情報として危機を捉えた時に、人はやっと他人のために動き始めるんです。

なんて寂しい世界。

私はそんな世界は嫌いです。


画面に向けられたその目を、
イヤホンに塞がれたその耳を、
携帯を握りしめたその手を、
少しだけ相手に向けるだけで
きっとほんの少しだけ優しい世界になる。

 

戯言ですかね
一緒に戯言を抜かしてくれる人がいてくれたら嬉しいです

「努力家≠ストイック、努力≒習慣」

f:id:uw-dandelion0130:20171107194054j:image

 

努力とは習慣であり、その努力の末の結果が実力。
───────────────────

 

「努力家」と「ストイック」。
この2つの言葉は似て非なるもので、同じ用法では使えません。
「ストイックとは禁欲的に厳しく身を持するさまである。」(三省堂辞書)
らしいですね。

 

じゃあ努力家が禁欲的に過ごしているのかというと、必ずしもそうとは限りません。
真の努力家は、自分が禁欲していることも忘れる程努力を継続することが習慣となっているのです。

 

もちろん側から見たら果てしなくストイックな人間であることは確かです。
それを見たまま「彼はストイックな努力家だ」と表すのは間違った表現ではないけれど
「私はストイックな努力家だ」といけしゃあしゃあと言って退ける輩は低脳なフェイクですね。

 

なぜなら、真の努力家は努力自体が彼の生活の一部だから。
毎日食後に歯を磨くことも、親に何度も叩き込まれ食後に歯を磨くという一連の動作が習慣になるまで努力し続けてきたのです。
「毎日歯を磨いて、あなたは努力家ね」と言われても嫌な気はしません。
でもまぁ「いやいやなに言ってるんだコイツ(笑)」って話ですよね。

 

努力家に対して「ストイックな努力家ね」と褒めるのはつまりそういうことなんですね。

努力していることにも気がつかない程習慣となったその瞬間、努力は本物となるのです。

 

頑張ろうと意気込んでいるうちはまだまだということですね。

「彼氏にイライラしないの?」という質問について本気で考えてみたらこうなった

f:id:uw-dandelion0130:20171023205339j:image

 

 

相手の期待値と等しくなったら、人は完成系になる。

 

─────────────────────

 

この前彼が地元のお友達に会わせてくれました。

厳密に言えば、居合わせたんですけどね(笑)

 

彼と長い時間を過ごしているだろう彼らから聞かれたのは、案の定 「○○と一緒にいてイライラしない?」

この手の質問はもう慣れました(つまりどういう事かはお察し下さい笑)

 

何度聞かれてもこの質問の答えは、 NO。

残念ながら「彼にぞっこんだからすべて許せちゃうの♡」とかそんな可愛い理由ではないです。

 

確かにほかの男性に比べて彼に足りたいものはあります。

間違いなく、あります。

なんならあって然るべきです。

 

じゃあ、なんで私が苛立たないのか

今回はそこについてじっくり考えてみました。

 

──────────────────

たどり着いた答えは、

 

許しているのではなくて、はなから諦めているから。

 

人は料理のようなものだと思います。

 

「好きな食べ物は豚肉とチョコレートと卵です」

と言ったお客さんに対して"チョコレートの隠し味卵のせ豚肉カレー"を出してみたらいったい何人のお客さんが満足するんでしょうか。

 

「チョコレートの味が全然しないじゃないか」

「卵は単体で食べたいんだよ」

「豚肉の焼き加減がなってない」

 

じゃあそれならと、"すき焼きとデザートのチョコレートケーキ"を出してみると

これまた

「甘すぎる」

「誰がシイタケなんて頼んだんだ」

「ケーキなんてお腹に入らない」

とこれまた苦情の嵐かも知れません。

 

恋人だって同じです。

 

「好きなタイプは背が高くて、優しそうな顔つき、紳士的で、収入の安定した人です」

全ての条件を満たした人が満を持して現れても、きっとなにか希望にそぐわない点がでてきます。

 

はなから期待なんてするから満足出来ないんです。

出会ったその人のありのままを受け止め、

その人の中に魅力的な面を見つけ憧れ、

欠点を見つけては理解し許して、

お互いに両手を広げて抱きとめることで愛し合えるんです。

 

恋人から自分の苦手な部分を取り除いても

自分の求める条件を加えてみても

もはやそれはその人自身ではなくなってしまいます。

 

自分がその恋人自身を欲しているのか

それとも自分の理想の恋人ロボットが欲しいのか。

 

条件や期待を放り投げて相手に両手を広げてみたらきっと平和で穏やかな恋愛は自ずとやってきます。